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医薬ジャーナル 2005年11月号(Vol.41 No.11)

p35(2605)~p37(2607)


医薬ジャーナル論壇

沼田 稔(ぬまた・みのる)…本誌論説主幹


人種差医療から個別化医療への道程
― 立ちはだかる“例外”の壁 ―


Summary
 個別化医療への観点から,薬剤の効果あるいは有害作用の人種差をめぐる議論が国際的に高まりを見せている。人種差医療は,究極的には個別化医療への大きなステップとなるわけだ。しかし,人種という分類だけでは律しきれない純粋な個別化への課題も,未だ大きな壁として残されている。同じ人種,さらには特定遺伝子の同定があっても,ひとつの薬剤が効く場合と効かない場合がある。要するに例外をどうするかということだ。米国では今年3月,適応を黒人だけに限定した最初の医薬品,心不全治療薬が承認されたが,「人種差という曖昧で潜在的に紛らわしい代替基準では生物学的に不正確であり,社会的にも危険」とする厳しい批判もなされている。わが国では,ゲフィチニブの非小細胞肺癌に対する日本人特有の作用と,特定遺伝子との関わりが注目されている。ここでも残されてくる問題は,やはり“例外”という存在だ。ともあれ時代は,ひと頃の統計的マス・エビデンスの流行的喧噪から,今や個のエビデンスの重視へと大きく転換するに至っている。


 薬剤の効果あるいは有害作用を含む生体への影響には人種差があり,そのことをめぐる議論が国際的に高まりを見せている。人種差医療は,究極的には個人差医療への大きなステップとなるわけだ。しかし,人種という分類だけでは処理しきれない純粋な個別化医療への課題も,未だ大きな壁として残されている。
 今日ではいくつかの薬剤作用に人種差のあることが分かってきている。それらの薬剤のうち,今特にわが国において,最も熱い眼差しを受けているのが,ゲフィチニブ(製品名:イレッサ)の非小細胞肺癌に対する効果ということであろう。2003年7月から1年間,海外28カ国における治療抵抗性の非小細胞肺癌1,692例を対象に行われた臨床試験ISEL(IRESSA Survival Evaluation in Lung cancer)の結果では,主要評価項目である生存期間において,ゲフィチニブは,プラセボに比べ有意な延命効果を示さなかったものの,東洋人患者だけを取り上げたサブ解析では,有意に生存期間の延長が認められたというものだ。東洋人にはEGFR(上皮成長因子受容体)変異遺伝子の持ち主の多いことがその理由と考えられている。(本誌2005年2月号p34-35p183-1871)参照)。
 ゲフィチニブ以外でも,人種差ということで最近注目されている薬剤に,新しいスタチン系薬剤のロスバスタチンカルシウム(製品名:クレストール)がある。わが国では今年4月に上市したばかりの新薬で,強力な作用を持つものだけに,より安全を期して納入先を限定し,慎重に製造後販売調査が進められているものだ。
 このロスバスタチンについて,米国では食品医薬品局(FDA)が今年3月,東洋人では薬物血中濃度が白人に比べ2倍に上昇するという大規模薬物動態試験の結果に基づく添付文書の改訂を行い,注意を喚起するに至っている2)。わが国におけるロスバスタチンは,米国とのブリッジングスタディにより承認されたものであるが,そのブリッジング治験の段階で,服用時血中濃度が白人の2倍になることが判明している。そうした経緯のもとに,既にわが国では,ロスバスタチンを特別な取り扱いを要する医薬品として,投与対象患者の全例にわたってチェックするといったことも,臨床現場で実践に移されている3)
 抗血栓薬ワルファリンカリウムについても,人種によって血中濃度に差が出ることが知られている。明治薬科大学の高橋晴美氏は,PK(pharmacokinetics:薬物動態)のみならず,PD(pharmacodynamics:薬力学)に関わる影響因子にも,人種差が存在する可能性が考えられるとして,ワルファリンによる抗凝固療法の人種差とPK/PD遺伝子多型について,10月東京でのセミナーで,自らの研究データを報告している。(本号44頁参照)。
 高橋氏の研究で注目されるのは,PK上では,血漿遊離型ワルファリンの濃度は,白人に比べ日本人のほうが低値であったが,PD上では,抗凝固効果は,白人よりも日本人のほうが大きく,ワルファリンのPKとPDには,相反する方向の人種差が存在していたことだ。その結果,PK上の人種差により生じた日本人のワルファリン濃度の低さは,PD上の人種差(遺伝子VKORC1が関与)で相殺され,最終的な日本人の抗凝固効果は,白人よりも僅かに低値を示すだけとなった。このことから高橋氏は,「今後,欧米白人データに基づく治療ガイドラインを日本人患者に適応する場合や,海外データを日本人へブリッジングを行う場合には,PK/PD両面からの人種差の検討が不可欠であることが示唆された」と述べている。
 ゲフィチニブやワルファリンの例から,ここで注意しておかなければならないことは,同じ薬物作用の人種差ということについては,単なる人種差の次元にとどまるものではないということだ。まず,それぞれに異なる遺伝子による支配ということがあるわけだが,その遺伝子をもってしても,それだけでは全てを律しきれないという問題も残ってくる。同じ遺伝子の持ち主でも異なる反応があるわけで,そうした例外をどう考えるかということだ。要するに,薬物反応性に対する影響因子としては,遺伝子以外にも,環境因子,生活習慣,趣味趣向,それぞれの個体要因などが様々に絡み合っているわけで,大事なことは,それら変異性の総合把握如何ということになってくる。

米国で最初の人種別医薬品
 一方,米国では今年6月に,適応患者を黒人だけに限定した心不全治療薬「BiDil」(製品名)が米国食品医薬品局(FDA)の承認を受けるに至っている。BiDilは硝酸イソソルビドとヒドララジンの合剤で,含有成分としては,それぞれ以前からある薬物だが,何しろ米国でも初めての人種別医薬品として登場したものだ。同国内ではその賛否にとどまらず,将来の個別医療をめぐる新薬開発と治験のあり方にまでも,議論の高まりを見せている。(Nature June 23 p1008-1009 2005;Nature Medicine August p812;同May p462 2005)。
 BiDil承認の根拠となったのは,進行した心不全の黒人患者1,050例を対象としたA-HeFT(The African-American Heart Failure Trial)と呼ばれる無作為対照比較試験の結果で,心不全の標準治療に加えてのBiDil投与群では,プラセボ投与群に比較して,43%の全死亡率減少と33%の初回入院率の減少を見ている4)
 BiDilの承認は,米国内では新しい個別医療への幕開きを示すものとして高く評価される一方,黒人でさえあればBiDilの適応とするのでは,あまりにも大雑把ではないかとする批判意見も強い。黒人であっても奏功しない場合があるし,またその逆に,白人であってもBiDilが有効である場合もあるというわけだ。国立ヒトゲノム研究所長官のFrancis Collinsは,「黒人への有効性が示されたことについては喜ぶべきこと」としながらも,それにしても,「人種差という曖昧で潜在的に紛らわしい代替基準では生物学的に不正確であり,社会的にも危険を孕んでいる」との懸念を示し,それよりも,薬剤反応の個人差を決定する遺伝的,環境的要因を調査するよう,企業や研究者をプッシュすることが先決と主張している。
 議論はさらに,新薬開発における治験のあり方にまでも及び,これまでの伝統的な安全性確認と治験のスタイルでは,薬理ゲノム学の進展についていけないのではないかといった専門家の指摘もなされている。個別的薬効の判定には遺伝子,生理学的なマーカーが必要というわけだ。米国臨床癌学会(American Society of Clinical Oncology)など,同国の癌学術4団体では,臨床試験の早期段階で被験者の血液と組織サンプルの分析を必要とする,新たな治験モデルの提案を行っている。
 こうした観点からBiDilについてCollinsはまた,BiDilのケースは,同じ人種差ということであっても,日本人に有効性を示すゲフィチニブの場合とは対照的だとしている。ゲフィチニブでは単に人種差ということだけではなく,EGFR(上皮成長因子受容体)変異遺伝子というマーカーが示されているからだ。

遺伝子だけで律しきれるか
 しかし,ここで改めて注意を喚起しておかねばならないことは,わが国におけるそのゲフィチニブとEGFRの関係においても,やはり例外という存在が引っ掛かってくるということだ。即ち,EGFR遺伝子変異を示す症例のみがゲフィチニブ投与の対象になるのかということになれば,それはそうではないということになる。「この疑問については,研究者によって考え方がかなり異なる。わが国の基礎研究者は,シンプルにそのような方向性を示しやすいが,EGFR遺伝子変異があってもゲフィチニブ,エルロチニブが効かない症例が約2割存在する一方,逆に変異がなくても効く症例も存在する1)」。EGFR遺伝子変異がないから対象外と考えるのは早計というわけだ。
 そういった意味では,ゲフィチニブといえども,依然として,BiDilと同じ次元の問題を抱えていることになる。因みに,ここで言うエルロチニブとは,現在開発中のもので,ゲフィチニブと同じEGFRチロシンキナーゼ阻害薬である。
 折しも,この9月,その名も「より個別的な治療を目指して」と題された札幌での第64回日本癌学会学術総会で,中村祐輔氏ら東大医科学研究所と広島大学,神奈川県立がんセンターらの研究グループによる,ゲフィチニブに関連する遺伝子についての新たな知見が報告された。非小細胞肺癌50例を対象に,EGFR(上皮成長因子受容体)のリガンドである遺伝子,TGF-alpha(Tumor Growth Factor-alpha)とAREG(Amphiregulin)の血清値を測定したところ,ゲフィチニブ耐性群では感受性群に比較して,これらの遺伝子が高頻度に検出され,またそれら陽性の患者群では,陰性群に比べ有意に予後不良であったとされる。研究グループではこうした結果について,最適な治療を患者に与えるオーダーメイド診療の可能性を強く示唆するものと結論づけている。
 しかし,ここでもやはり残されてくる問題は,例外ということであろう。TGF-alphaであってもAREGであっても,その作用と結果については,例外の壁を避けて通れないと思うのだが,どうであろうか。ともあれ時代は,ひと頃の統計的マス・エビデンスが流行的に喧噪された季節から,今や個のエビデンスが重視されるところへと大きく転換するに至っている。もっと正確に言うならば,マスのエビデンスと個のエビデンスの止揚が求められているということだ。第64回日本癌学会のシンポジウムで,中村祐輔氏は次のように述べている。
 「個々の患者の遺伝的・疫学的背景も多種多様であることから,癌罹患リスク・癌の進展・治療薬および治療法に対する効果や副作用などの個人差は非常に大きい。20世紀において,癌の治療法は急速に進んだものの,癌患者を集団として画一的な治療法を提供してきたことの弊害は小さくない」。

医薬ジャーナル論壇



文献
1)西條長宏:特集・癌分子標的治療の現状と今後の展望;ISEL試験初回解析結果の波紋,医薬ジャーナル2005年2月号p183-187
2)http://www.fda.gov/cder/drug/infopage/rosuvastatin/default.htm
3)下堂薗権洋:特集・ファーマコビジランス;病院薬剤師から見たGVP,医薬ジャーナル2005年9月号p97-103
4)Jay N. Cohn, et al.:Combination of Isosorbide Dinitrate and Hydralazine in Blacks with Heart Failure. The New England Journal of Medicine, Vol.351, 11 Nov. p2049-2057, 2004


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