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医薬ジャーナル 2018年2月号(Vol.54 No.2)

p27(229)~p29(231)


医薬ジャーナル 論壇


がんゲノム医療と薬剤師

寺 田 智 祐

滋賀医科大学教授・医学部附属病院薬剤部長(てらだ・ともひろ)


Summary
 ゲノム研究の歴史は長い。国際ヒトゲノム計画のスタートを起点にしても,30年が経過しようとしている。そんな長年の研究成果が,「がんゲノム医療」として社会実装される日が,目前に迫ってきている。例えば,2017年10月に公表されたがん対策推進基本計画(第3期)では,重要政策の一つとして「がんゲノム医療の推進」が掲げられている。がんゲノム医療という新たな医療の枠組みの中で,薬剤師は何ができるのであろうか?さまざまな役割が想定されるが,遺伝カウンセリングに関連した素養は,きっと求められていくことになるであろう。本稿では,がんゲノム医療の現状と課題,そして薬剤師の果たすべき役割について,紹介したい。




バブル~狂騒・競争・協奏~
 「バブル」と聴くと,「泡」よりも「好景気」を連想する人は,筆者より上の世代に多いと思う。バブル景気の概要を調べてみると,景気動向指数的には,1986年12月から1991年2月までの51カ月間に,日本で起こった資産価格の上昇と好景気,およびそれに付随して起こった社会現象とされている。このうち,多くの人が好景気の雰囲気を感じていたのは,1988年頃~1992年2月とある。当時筆者はまだ大学生であったが,メディアから流れる情報に触れる度に,日本中が浮き足立っているなと感じていたことを思い出す。日本全体が“狂騒”にかられ,好景気に乗り遅れまいと,必死に“競争”していたのかもしれない。
 サイエンスの世界では,科学政策的に,特定の分野にスポットライトが当てられる。しかし,バブル景気のように,膨らんでは萎むといった浮き沈みの激しい分野も残念ながら見受けられる。一方で,絶えずスポットライトを浴びながら,膨らみ続けている息の長いプロジェクトも存在する。具体的な例として真っ先に思い浮かぶのは,ゲノム・サイエンスである。ちょうど,国際ヒトゲノム解析計画が佳境にあった2000年に,首相官邸の肝入りでスタートした「ミレニアム・プロジェクト」を覚えておられるだろうか?さまざまな科学政策上の施策が盛り込まれたが,ライフサイエンス分野の目玉の一つは,ポスト・ゲノムに対応した,ヒトとイネのゲノム・プロジェクトであった。元京都大学総長の井村裕夫先生が,ゲノム・プロジェクトの構想をまとめ,評価・助言会議の議長を務められた。ヒトゲノム・プロジェクトでは,「高齢化社会に対応し個人の特徴に応じた革新的医療の実現」が目標として掲げられ,一塩基多型(SNP)の探索・解析が一気に進んだ。筆者自身,当時は,薬物トランスポータの研究に取り組んでいたが,時代の潮流に乗り遅れまいと,慌てて,研究対象としていた分子のSNP解析や機能解析に取り組んだことが思い出される。他の分子種を対象とする研究者らもSNP解析を行い,多くの研究者の“協奏”によってゲノム・サイエンスが進展し,「ゲノム」が身近な研究対象になっていった。

ゲノム研究史と技術革新1)2)
ここでは,改めてゲノム研究の歴史を振り返ってみたい。1865年に「メンデルの法則」が発見されて以来,脈々と核酸・DNAの研究が進展し,1953年にワトソンとクリックがDNA二重らせん構造モデルを発表した。その後,研究者らの興味はDNAの構造・組成から,配列・機能の関連,すなわち「ゲノム解析」へと移っていく。ゲノム(genome)とは,遺伝子(gene)と「全体」を意味する接尾語(ome)を合わせた造語である。DNA二重らせん構造の発見以後,DNAポリメラーゼの単離(1956年),コドン表の完成(1960年代),DNA配列解析法(サンガー法)の確立(1977年),PCR(ポリメラーゼ連鎖反応)法の確立(1983年)など,いずれもノーベル賞が授与された偉大な研究成果が次々に発表されていった。これらの研究成果を背景に,生命科学分野では,これまでの表現(機能)解析から,分子・遺伝子解析へと移っていく。1970年代頃までは,対象とする1つの遺伝子に関する研究が主流であったが,次第に,個別の遺伝子を調べていても,生命現象を理解する上では限界があることに気づき始めた。1986年,ワトソンが,「ヒトゲノム計画」に関するシンポジウムを主催し,徐々にヒトゲノム配列解読の機運が高まっていった。そして,1990年に「国際ヒトゲノム計画」がスタートし,2000年にドラフト配列の発表,2003年に完全解読が達成された。
 国際ヒトゲノム計画で塩基配列決定のために用いられていたサンガー法は,ジデオキシ法とも呼ばれ,酵素反応で生成されたさまざまな長さの蛍光標識されたDNA断片を電気泳動で分離・検出するシステムである。国際ヒトゲノム計画の期間中,キャピラリー電気泳動による装置が登場し,DNA配列解析の自動化・高速化は一気に加速した。とは言っても,サンガー法では,1サンプルにつき800塩基ほどしか解読できないため,384サンプルを一気に解読できるシークエンサー1台をフル稼働させたとしても,30億塩基からなるヒトゲノム配列を読み解くには30年近く要することになる。
 2003年以降,解読されたヒトゲノムの全配列を参照配列として,対象とするゲノムの変異を検出する,whole-genome解析が原理的には可能になった。しかし,サンガー法に基づいた配列解析では,時間とコストがかかり過ぎることから,より効率的で低コストに行えるシークエンサーの開発が待ち望まれていた。2005年以降,サンガー法に依らない次世代シークエンサーが相次いで開発され,開発当初の性能でも,従来の機器の数百倍の解読塩基量があった。その後も,高速化・低コスト化は指数関数的に進み,2003年に初めてヒトゲノムのDNA配列が決定された時には,10年・約2.7億ドルかかったものが,最新の機器では,1日・100ドルの費用で全ゲノム解析が可能になると言われている。ここまで技術革新が進むと,臨床応用にも拍車がかかり,特にがんの分野における「がんゲノム医療」が,その先陣を走っている。

がんゲノム医療~光と影~
 現在のがん治療においても,一部のゲノム変異については,コンパニオン診断薬を用いて変異の有無を個別に検査し,その結果に応じた抗がん薬の使い分けがされている。しかし,個別に変異を検索しても,他に重要な未知の変異が隠れている可能性は否定できないので,精緻な治療を行うには限界があった。2017年6月にまとめられた,「がんゲノム医療コンソーシアム懇談会報告書~国民参加型がんゲノム医療の構築に向けて~」3)において,がんゲノム医療の定義がされている。すなわち,「次世代シークエンサーを用いたゲノム解析を医療現場で用い,患者ごと,細胞ごとのゲノム変異を明らかにし,その結果に即して行う医療」とある。日本の先駆的な医療機関では,自由診療や公的資金を活用した形で,「がんゲノム医療」が具体的に進められていたが,そんな実践例が懇談会報告書の早期実現を後押ししたとも言える。
 そんな折,がん対策推進基本計画(第3期)が2017年10月に公表された4)。第3期計画の主な柱として,がん検診受診率50%への目標引き上げ,若年患者への相談支援態勢の整備,高齢患者に適した診療ガイドラインの策定などがあるが,目玉の一つとして「がんゲノム医療の推進」が掲げられている。ただし,遺伝情報に基づくがんの診断・治療は,英国のGenomics England(2014年),米国のPrecision Medicine Initiative(2015年)のように,世界の医療政策上の潮流となっており,本邦でも「やっと」という感は否めない。一方で,先行している欧米からは,がんゲノム医療に関する否定的なレポート5)~7)も報告されている。例えば,がんゲノム医療の結果,劇的に効いたという症例はセンセーショナルに取り上げられるが,MDアンダーソンがんセンターで行われた2,600人の患者の遺伝子スクリーニングの結果では,6.4%の患者にしか,遺伝子変異に適合した抗がん薬は見出せなかったとある5)。圧倒的に,分子標的抗がん薬のレパートリーが少ないのである。また,がんゲノム医療を受けた患者と受けなかった患者の生存期間を比較したフェーズIIの臨床試験において,両者に差はなかったとある6)。さらに,遺伝子検査や抗がん薬の高いコストも問題として指摘されており,患者の受ける利益は限定的であると主張する研究者も少なくない7)。一方で,これらの主張に対する反論も多く,論争は尽きない。国際ヒトゲノム計画以降,膨らみ続けているゲノム科学であるが,バブルがはじけないような適切な舵取りが,行政・研究者・医療者などには求められている。

がんゲノム医療における薬剤師の役割
 上述したように,技術的にも政策的にも,がんゲノム医療は進展しつつある。がんゲノム医療は,医師を中心にしたコミュニティーで発展してきた領域なので,どうしても「診断」的な要素が大きい。体細胞変異検索に基づいた遺伝子変異と抗がん薬の選択は,診断の範疇と捉えることができる。しかし,適切ながん薬物療法を実践するためには,診断以降のさまざまな課題も想定される。ここでは,がんゲノム医療における薬剤師の役割について考察してみたい。
 日常診療として定着するまでの移行期では,未承認・適応外となる抗がん薬の使用が予想され,その使用に関する管理・運用面で薬剤部・薬剤師の役割は大きい。一方で,将来的に日常診療として普及すれば,遺伝子変異と抗がん薬の選択が正しいかどうか確認することは,処方監査の一つになり得る。また,抗菌薬治療の場合,起因菌の同定がされても,感受性や抗菌薬の臓器移行性を考慮しないと適切な抗菌薬療法ができないように,感受性や臓器移行性の観点から,適切な分子標的治療薬の選択に薬学的知見が活用されるようになるだろう。一方,遺伝子解析の中に,薬物動態関連因子の遺伝子検査が含められると,ファーマコゲノミクスに関連したアドバイスも重要になってくる。
 さらに,遺伝カウンセリングに関連した素養も求められていくと考えられる。本来,遺伝カウンセリングは,認定遺伝カウンセラーと呼ばれる専門職によってなされるが,薬剤師にとっての喫緊の課題として,BRCA 遺伝子変異陽性の手術不能または再発乳癌を対象とするオラパリブの臨床使用が間近に迫っていることである。生殖細胞系BRCA 遺伝子変異は,遺伝性乳がん・卵巣がん症候群の原因遺伝子であり,米国の有名女優がこの遺伝子変異のため,乳房や卵巣を摘出したことは記憶に新しい。生殖細胞系列の遺伝子変異の場合には,子孫に遺伝する可能性があるため,慎重な対応が求められるが,オラパリブ服薬指導の際には,このような疑問を患者から薬剤師に尋ねられることは容易に想像できる。がんゲノム医療が普及すると,遺伝子変異と遺伝に関する話題も顕在化するため,特に服薬指導時には適切なアドバイスが必要になってくるであろう。






文献
1)荒内貴子ほか:ゲノム解析技術の進展と課題-巨大化する医学・生命科学分野の技術-.社会技術研究論文集11:138-148, 2014.
2)兼崎 友:ゲノム研究の歴史と技術革新.生物工学会誌95(3):136-139, 2017.
3)がんゲノム医療コンソーシアム懇談会報告書.http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-10901000-Kenkoukyoku-Soumuka/0000169236.pdf
4)がん対策推進基本計画.http://www.mhlw.go.jp/file/04-Houdouhappyou-10901000-Kenkoukyoku-Soumuka/0000181862.pdf
5)Prasad V:Perspevtive:The precision-oncology illusion. Nature 537:S63, 2016.
6)Le Tourneau C, et al:Molecularly targeted therapy based on tumour molecular profiling versus conventional therapy for advanced cancer(SHIVA):a multicentre, open-label, proof-of-concept, randomised, controlled phase 2 trial. Lancet Oncol 16:1324-1334, 2015.
7)Tannock IF, Hickman JA:Limits to personalized cancer medicine. N Engl J Med 375:1289-1294, 2016.


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