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医薬ジャーナル 2018年7月号(Vol.54 No.7)

p39(1581)~p41(1583)


医薬ジャーナル 論壇


悩める大学全入時代の高等教育

佐 々 木  均

長崎大学病院薬剤部教授・薬剤部長(ささき・ひとし)


Summary
 大学の高等教育は,常に社会の要請に応じた高度な人材の供給を担ってきた。日本では,経済成長と福祉国家政策により,大学への進学率が急激に高まり,大学間序列が拡大するとともに,受験競争が激化した。しかし,今や大学全入時代となり,入学者の学力・意欲の低下の傾向が顕著になっている。薬科大学や薬学部も例外ではなく,定員の増加により,入学者の学力の低下とばらつきが顕在化しており,その対策として米国の教育ツールの導入を図っている。しかし,教育には多大な労力がかかることより,効率的な運営だけではなく,社会全体の投資としての高等教育を考える必要がある。




は じ め に
 近代の大学は,中世の教会や修道院の付属学校から始まった。9世紀にイタリアのサレルノに設立された医学校には,ヨーロッパ全土から学生が集まった。また,11世紀に設立されたボローニャ大学は,法学で知られた世界最古の大学である。1150年には神学で有名なパリ大学が設立された。都市の治安を維持するために,神学,法学,医学の人材養成を行うことが大学の始まりであった。その後,19世紀の近代国家の発展により,行政官僚と技術官僚の需要が増え,産業化が進み資本主義が台頭することにより,工学技術者,農業技術者,企業の経営幹部の養成需要が増加した。20世紀に入り,福祉国家体制が発展すると,公共サービスに携わる教育者や医療人の養成が盛んになった。大学の高等教育は常に社会の要請に応じた高度な人材の供給を担ってきた。

日本の大学の大衆化
 日本では,1918年(大正7年)に「大学令」が発令され,“近代化の装置”として大学が誕生した。1960年には1割程度であった大学進学率は,その後の経済成長と福祉国家政策により急速に高まり,1970年代には4年制大学と短大とを合わせて4割に達した。同時に大学間の序列が拡大し,大学入学に向けての競争が激化した。1979年からの共通一次試験の導入は,受験競争に拍車をかけた。日本の厳しい受験戦争は,高校や中学での勉強に強いインセンティブを与えると同時に,大学入学者の質を揃える役割も果たしてきた。企業は,大学における高等教育に大きな価値を求めず,学生の基本的能力を大学序列の入学試験で評価し,雇用した。入学した学生の多くも,社会人になる前のモラトリアムの学生期間を楽しんだ。古い大学教育システムは,企業からも学生からも批判を浴びず,放置されたことにより教育改革が遅れる結果となった。1990年代後半からは,18歳人口の減少が始まる一方で,大学の収容力の増加が続き,2000年代半ばまでには,4年制大学・短大・専修学校を合わせた進学率は7割を超え,大学全入時代へと到達した。この高等教育のユニバーサル化により受験競争の影響は縮小し,大学生として前提となる学力や学習意欲が極めて弱体化した。
 現在では,社会や経済の在り方自体が大きく変化しようとしている。科学技術が爆発的に拡大し,さまざまな専門分野の知識が組み合わされたイノベーションにより,新たな市場が創られ,その知識が恒常的に発展し,更新され続けていく。知識を仕事で使っていくだけではなく,常に新しい知識を身に着けることが要求される。しかも経済がグローバル化し,ヒト・モノ・カネが国境を越えて自由に移動する。世界が知識社会化する中で,国の将来は,知識を進展させ未来を切り拓くことのできる新しい人材の養成にかかっている。日本の大学教育は,将来の志望も明確で学力のある学生にとって知識伝達の効率的なシステムだったが,多様な学生を受け入れ,さまざまな価値観の錯綜する社会で能力を発揮できる人材を育てるには不向きであった。新しい教育の試みが必須である。

米国の教育ツールの発達1)
 米国の労働経済学者のライシュ氏は,知識社会化の中で必要とされる高度なホワイトカラーを「シンボリックアナリスト」と定義している。彼らは,具体的な現象から背後にある真実を見抜く力,広い視野から判断する体系的思考,新しい試みを果敢に実験する志向,異なる文化や価値観を持つ人々と共同作業を行う能力の4つの資質を有し,グローバルな企業の活動を担っている。米国は,国民の平均的な能力を上げることは果たせていないが,高度人材の養成に成功しており,国際的な競争力の中核の一つになっている。ハーバード大学の学長であったボック氏は,大学の根本的問題として,個々の大学教員は基本的には自分の専門領域の枠組みで発想するのに対して,社会は社会が要求する知識や技能から大学に接するため,両者の間にずれが生じていることをあげ,両者を媒介することが大学のマネジメントをする者の役割であると述べている。
 米国の大学のカリキュラムは,進学段階に応じて専攻の複数化や特殊化が可能であり,多様な人材を育成できる。また,学習の開始導入,基礎学習,探求といった階梯性を持っている。米国は公教育システムの多様性が著しく,大学入学者の学力に大きなばらつきがある。このため,学習の開始の支援と基礎学習の習得に大きな力が割かれており,学生を教え込もうとする制御志向のもと,それを実現するためのさまざまなツールを発展させた。例えば,学生には,シラバスや授業の目標・日程,参考文献を示し,学習に対する要求を明文化した。また,小論文や報告書の提出,試験などもこまめに要求され,教員からのコメントにより双方向のコミュニケーションが図られる。さらに担任制が敷かれ,授業に対応したウェブや電子メールにより,学習の進捗度を把握し,個々の学生の学習ポートフォリオを作成する。学生の学力や学習態度の劣化に対しては,補習教育(remedial education)や作文指導の読み書きクリニックが導入され,ティーチングアシスタントが配置されている。学習習慣のない学生には,学習の仕方を指導する科目,学習の方法の指導科目,学習カウンセリングが導入され,学習動機の弱い学生に対しては,インターン学習やキャリア教育の科目などが用意されている。また,テーマ型講義,参加型学習,グループ学習,卒業論文,研究・実験などが導入され,学生の探求心への触発と誘導を行っている。一方,こうしたさまざまなツールを開発し,手間をかけて教育効果を改善していくことで,必然的に授業料は高額化していった。

薬学教育の多様性
 日本の薬科大学・薬学部は,欧米の教育理論やツールを参考にして,改革を進めている。薬学教育モデル・コアカリキュラムも大きく改訂された。教育とは「学習者の行動に価値ある変化をもたらすこと」と定義され,学生の視点から到達目標が記載されている。また,臨床現場で実習する資格として医学教育で採用された「共用試験」を導入した。コンピュータを用いるCBT(Computer Based Testing)で知識・問題解決能力を評価し,実地試験や模擬患者を用いたOSCE(Objective Structured Clinical Examination)で態度・技能を評価する。改訂モデル・コアカリキュラムでは事前実習・病院実習(11週間)・薬局実習(11週間)が「薬学臨床」に一本化され,「安全で有効な薬物療法の提案とそれを実施・評価できる能力の修得」,および「チーム医療・地域医療への参画能力の修得」に新たな力点が置かれた。また,実習生が実習期間中に継続的に関わる必要がある代表的な疾患(がん,高血圧症,糖尿病,心疾患,脳血管障害,精神神経疾患,免疫・アレルギー疾患,感染症)が規定された。
 一方,2017年9月,日本学術会議の薬学委員会医療系薬学分科会(委員長:望月眞弓氏)から「社会に貢献する医療系薬学研究の推進」の報告が出された。薬学6年制学部・学科の上に立つ4年制博士課程が開設され,2016 年に完成年度を迎えたことから医療系薬学研究の現状を分析し,社会貢献や発展に必要な施策を提言している。特に,医療系薬学研究の推進はpharmacist-scientistsの育成がカギを握る。薬剤師としての職業実践力を持ち,かつ臨床マインドと研究マインドをバランス良く備えたグローバルに活躍できる人材を養成することが重要である。そのために,薬系大学院では研究の深化だけに重点を置くのではなく,医療全体を俯瞰できる幅広い大学院教育課程を編成することの必要性が指摘された。また,医療系薬学領域の研究は薬物治療の最適化から創薬科学研究など広範に及び,異なる研究領域との有機的連携体制に基づく共同研究の推進の必要性を提言している。現在,新薬の多くは,生物製剤,分子標的薬,希少疾病薬など,ヒトの疾患メカニズムの解析から開発されている。医療現場が創薬や育薬の場となり,pharmacist-scientistsや臨床薬剤師が病棟に展開されていることから,医療系薬学が関与した新たな学問や創薬の推進が期待できる。
 薬学は応用分野が広く,さまざまな分野で活躍が期待できる。薬科大学や薬学部が新設され薬剤師数が増加していることは心強い。しかし薬学の収容力が増加し,入学者の学習意欲と学力は予想以上に低下している。学力のばらつきは米国をはるかに上回る。米国のツールを導入して教育改革に乗り出しているが,学習方法も知らず,学習習慣もない学生が大量に入学しており,米国のツールを真似するだけでは追いつかない状況になっている。限られたリソースの中で教員も疲弊している。ツールの意義を深く理解し,効率の良い教員の努力がもちろん必要だが,教育関連団体や行政が核となり日本独自のツールを開発支援することも重要である。また,負の連鎖を断ち切るための思い切った人材投入や経費の投資が必須である。社会全体の投資としての高等教育を考慮し,付加価値を持った人材育成に邁進しなければならない。大学経営者や行政の英断に期待したい。

お わ り に
 20世紀の教育は要素還元主義からのアプローチであり,知識やスキルを試験し,一つひとつの合格基準で評価してきた。しかし,知識習得やスキルや人間性の発露には,学習者の基本的資質が背景にあり,より高い目標に向けて,より深いアプローチをせざるを得ないような基本的資質を習得させることが21世紀型の教育になる。しかし,基本的資質は観察不可能なため,課題に対してプロダクト作成や実演などのパフォーマンスをさせることで,基本的資質を可視化して評価する。ルーブリック評価は,このパフォーマンスの成功の特徴を記述する。21世紀型の教育は,学習者のより内面の基本的資質を,パフォーマンスで評価しながら,意図的に成長させる。薬学教育評価機構の新しい評価基準は,21世紀型の教育に焦点を当てて,大学の教育システムを第三者評価することになる。しかし翻ってみれば,基本的資質の正確な評価には多角的なパフォーマンス評価が必要で,より学生との密接な相互理解と大きな労力が必須である。時間をかけた教育への投資と効率的な運営が強く求められる。薬学だけではなく,地域の薬剤師・医療者すべてのネットワークを用いて優秀な薬学生を育てるシステムの構築が望まれる。






文献
1)金子元久:大学の教育力-何を教え,学ぶか(ちくま新書).筑摩書房,東京.2007.


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