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Depression Frontier 2009年(Vol.7 No.1)

p6 ~ p7


−特集1 うつ病の多様性と治療戦略−


特集にあたって

・内海  健

帝京大学医学部精神神経科学教室


 「うつ病」と診断される事例の数は,爆発的ともいうべき増大を示している。1980年代前半には10万人程度であったのが,最近では100万人を超えたともいわれる。素直に受け取れば,20年あまりの間に10倍に膨れ上がった見当になる。
 しかしこうした明白な「事実」があるにもかかわらず,今のところ,その意義がまともに検討されたためしはない。確かにうつ病は増えているのだろうが,それが伝統的にうつ病と呼ばれてきたものの増加であるかというと,かつてを知る精神科医なら誰しもそんなはずはないと思っている。
 おそらく大きな要因の一つは,DSM(diagnostic and statistical manual of mental disorder)に代表される操作的診断学の流通であることは論を待たない。たとえば大うつ病性エピソードの診断基準をそのまま適用するならば,わが国のうつ病患者は100万人をはるかに超えるだろう。
 もっともこれはDSMをつまみ食いしているのであって,本来DSMはすべての障害を数え上げてはじめて正規の診断にたどり着くというものである1)。それゆえ大うつ病性障害と診断される事例には,不安障害,身体表現性障害,あるいはパーソナリティ障害などのcomorbidity(併病)が,数多く含まれることになるだろう。「大うつ病エピソード」すなわち「うつ病」ではないのである。
 それにしてもここまでフラットな診断基準が,臨床の現場にまで浸透しているとしたら,ことはいささか深刻である。DSM- III がわが国に上陸した当時,多くの臨床家はダブル・スタンダードを採用した。つまり臨床は伝統的診断,研究は操作的診断という使い分けである。しかし最近,かのAndreasen2)は,DSMには生物学的研究におけるvalidityがないと言い切っている。研究者に役立つならいたしかたないと妥協してきた身にしてみれば,「何を今さら」という気持ちになる。
 しかし考えてみれば,Andreasenが今になってそんなことを言うのも妙なことである。DSMに生物学的なvalidityなど,はなから求めるべくもないはずである。まともな基礎研究者が,たとえば「大うつ病エピソード」という基準に基づいて研究するとは到底思えない。とすれば,ではいったい何のためのものだったのか。臨床にも病態解明にも役立たないとすれば。
 ことにわが国の場合に問題となるのは,DSMが策定されてきた経緯について,ほとんど注意が払われてこなかったことである。言ってみるならば,DSMとはきわめて高度な議論の末に,とてつもなく粗末な妥協の産物が産み落とされた,そうした代物である。にもかかわらずその粗末なものを,後生大事にありがたがる臨床家がいるのが,わが国の現状である。
 かつて米国が経済的に日本に遅れを取った際,日本よりすぐれたシステムを構築するよりも,むしろ日本企業を米国化する戦略を選択した,というようなことを聞いたことがある。たとえば成果主義,終身雇用制の撤廃,株主様の優遇などがその成果である。精神医学でも似たような現象があるのかもしれない。ただこの場合は米国の戦略でも何でもなく,わが国の精神科医が,自らのすぐれた資質を放棄して,勝手にこけているのである。そしてDSM- V が,現在そのAgenda3)でみるような形で登場したときには,もうそのレベルについていくことはできないだろう。
 もう一つ,うつ病臨床が拡散している要因がある。それはメランコリー親和型や執着気質に代表される臨床的メルクマールの消失である。これらの概念は,遺伝と環境,脳と心といった,しばしば不毛な議論を引き起こす二項対立を止揚し,ある種の中間形質として,両者が交錯する地点に見出される,高度な臨床的概念であった4)。そしてここからさまざまな良識的な治療の知恵が発信されてきたのである。しかし1980年代以降,こうした類型は急速に衰退し,いささか行き過ぎた啓蒙活動とあいまって,いまや形骸化されたメッセージだけが流通している。
 そして要石が抜け落ちることによって,臨床の言葉もフラットなものへと拡散していくことになる。そこには二項対立のもたらす緊張すらなく,ストレスでうつ病になるであるとか,セロトニンが足りないであるとか,そうした初歩的な言説がまかり通っている。
 昨年7月に開催された第5回うつ病学会で,われわれは神庭重信大会長より,「うつ病の多様性への治療戦略」というシンポジウムを企画するようにご指示をいただいた。この学会も,いわゆる初期の啓発の段階を終え,参加者がより専門性の高い臨床的議論を望んでいることに対応したものであろう。そう思うと少しほっとする。
 ここに掲載された5編は,いずれも良質な論考であり,まさに現場のニーズに応えるものである。私見であるが,読者の皆様には,まず松浪氏の「現代型うつ病」論から読むことをお勧めしたい。かつての伝統的な内因性うつ病がどのように変遷してきたのか,そのメインストリームがすっきりと頭に入るであろう。その上で,松尾氏の「ディスチミア親和型」論に戻ると,この最近濫用されがちな類型の本来の姿が浮かび上がってくるだろう。津田氏の「Bipolar Spectrum」,坂元氏の「非定型うつ病」は,内容的にやや高度であるが,軽症化によって忘れられがちな病理として重要である。両者はうつ病を甘くみてしっぺ返しを喰う際の代表的な類型である。そして最後に黒木氏の薬物療法論によって,臨床の見取り図が確認されることになるだろう。
 巷では,米国の金融危機に端を発した経済不況によって,うつ病がますます増えるのではないかという予測が流れている。しかしこれはいささか単純な見方であり,私個人はむしろ減るのではないかとさえ考えている。というのも,今の精神医学の治療文化のレベルでは,大きなクライシスを受け止められるかというと,はなはだ心もとない。病める人々の嗅覚はそのことをきっと嗅ぎつけるだろう。うつ病が減ることは歓迎すべきことかもしれないが,もしそれが心的危機に対するニッチとして機能しないことを意味するなら,医療従事者としてまことに残念なことである。うつ病が回復のための足場となるために,われわれに求められているのは臨床知の洗練である。本特集がそれにいくばくかの寄与をするものであることを願って止まない。


文 献
1)宮岡 等:うつ病の混乱−科学・社会・経済のはざまで.臨床精神病理29:179-183, 2008
2)Andreasen N:DSM and the death of phenomenology in America:an example of unintended consequence. Schizophr Bull 33:108-112, 2007
3)Kupfer DJ, First MB Reiger DA(eds):A Research Agenda for DSM- V .APA Press, Washington DC, 2002(黒木俊秀,松尾信一郎,中井久夫訳:DSM研究行動計画.みすず書房,東京,2008)
4)神庭重信:うつ病の行動遺伝学的構造.広瀬徹也,内海 健編:うつ病論の現在−精緻な臨床をめざして.星和書店,東京,2005

特集1うつ病の多様性と治療戦略



文献
1)宮岡 等:うつ病の混乱-科学・社会・経済のはざまで.臨床精神病理29:179-183, 2008

2)Andreasen N:DSM and the death of phenomenology in America:an example of unintended consequence. Schizophr Bull 33:108-112, 2007

3)Kupfer DJ, First MB Reiger DA(eds):A Research Agenda for DSM- V .APA Press, Washington DC, 2002(黒木俊秀,松尾信一郎,中井久夫訳:DSM研究行動計画.みすず書房,東京,2008)
4)神庭重信:うつ病の行動遺伝学的構造.広瀬徹也,内海 健編:うつ病論の現在-精緻な臨床をめざして.星和書店,東京,2005


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